母なる証明

すごい映画です、「母なる証明」。


母なる証明 監督:ポン・ジュノ 出演:キム・ヘジャ、ウォンビン


ストーリー(ウィキペディアより)
「体に思考力の成長がついてゆかない息子・トジュンを、母親はつねに心配していた。トジュンには悪友・ジンテがおり、トジュンが轢かれかけた議員のベンツに復讐した際、協力したジンテからバックミラーを破損させた責任を転嫁されたことから、母親は彼との絶交をトジュンに勧めるほどであった。そんなある日、トジュンはナンパしようとした少女に逃げられた。そして次の日少女は死体となって発見され、トジュンは殺人容疑で逮捕された。息子が殺人など犯す筈がないと信ずる母は、警察や弁護士に追いすがるが、その努力も無駄と知り、自らの手で事件を解決しようと奔走する。」

映画の紹介文に”サスペンス”と明記されていたのですが、ポン・ジュノがいわゆる”サスペンス”(犯人を捜し出し、事件が解決する内容)と呼ばれるものを作るはずがないと思っていました。「殺人の追憶」にしろ、「グエムル」にしろ、ポン・ジュノの作品では事件の解決で物語に終止符が打たれることはなく、映画内で起きる事件の背景にある社会的な出来事(政治や環境破壊、差別等)が物語に大きな揺さぶりをかけていく印象があります。
今日DVDで見たこの「母なる証明」もやはり単なるサスペンスではなかった。いや、そんな’どんなジャンルか’というつまらない話をしている場合ではないと思わされる映画でした。「母なる証明」というタイトルは邦題ですが、もの凄くしっくり来るタイトルだと映画の終盤に思わされます。

ここに出てくる母親は、まさに母親です。世界中を敵に回しても、子供を信じ、子供を全力で守ろうとする。無実の罪というのは罪を犯していない人間が罪人として扱われる訳ですから、被疑者は、事件の被害者をはじめとする世間の人々から”本来受けるべきでない”恨みや不当な扱いを受けるということです。そんな苦境の中でも、母は息子を信じ続けている。
ただ、果たしてその息子を信じる気持ちが強ければ、事件の真相を世間に知らしめる結果に繋がるのでしょうか。事件の真相=息子の無実にならない場合はどうなるのでしょうか。

そして、犯人にされた息子トジュンが、思考力/記憶力/それらを表現する力が弱い人であるということも大きいポイントです。映画の中で、息子が社会的にどう扱われているか。その事実を、巧妙に物語の構築に使っていると思いました。社会情勢に対する批判もあると思いますし、もちろんそれ以上の意味(ちょっとうまい言葉が見つかりません)も含まれていると思います。

ポン・ジュノがこの映画を通して投げかけたことは、大きく重たいはずです。