2010年!大晦日のひと言メモ

12月怒濤の忙しさから全くブログを書きませんでした(汗)

途中から、もう来年からの再開にしようと心の中で決めてしまって(笑)、明日から頑張る決意をここに示して、一年間を振り返ります。


2010年1月
トーキョーワンダーサイトで行う「TOKYO nude」のための作曲を必死にしていました。自分の作品として完全にプロデュースまでして行うコンサートは「TOKYO nude」がはじめてでしたので、気合いが入りながら作曲に勤しんでいました。同時に、コンサートのためのDM作成(デザインは友人のデザイナー/建築家の鈴木隆史君)、宣伝等を行う。


2010年2月
前半は「TOKYO nude」のコンサートのための作曲が終わり、ライブのリハーサルや音響や会場設営等の準備。24日が本番。約40分のコンサート・ピースでしたが、内容は非常に濃かったと思います。メイヤーサウンドをフルに使えましたし、音響のセッティングやライブのセッティングもバッチリ、お客さんも超満員でした。関係者、観客の皆さんには本当に感謝です!!


2010年3月
「TOKYO nude」のドキュメント作成。ARS ELECTRONICAに応募しました(結果は残念ながら入選せず)。その後はこれからどう「TOKYO nude」を扱っていこうかを考えていました。あと、27、28日に僕が音楽を担当したNoismの「sense datum」の一部分が新潟のりゅーとぴあにてNoism2によって再演されました。


2010年4月
CDのリリースについて考えていた時期。比較的時間があったので、色々な人と会ったりしていました。
キュレーターの四方幸子さんに久しぶりにお会いし、6月に開催されるIST2010でのライブにお誘い頂きました。


2010年5月
レーベルの立ち上げを決意した時期ですね。あと、この月はイベントやコンサートに行きまくっています。今手帳見て驚いた(笑)プラスチックス大駱駝艦ICC、児玉ギャラリー、unsuspected monogram、metroの演劇、ニュースペーパーのライブ、等など。


2010年6月
5、6日に音楽を担当したヨーテボリ・バレエの公演(振付:児玉北斗)がスウェーデンでありました。27日には四方さんがキュレーション
/プロデュースされたIST2010にてライブ出演、「TOKYO nude」のソロ・バージョンをやりました。あと、久しぶりに発表されたdigi+KISHINの新作「桜井まり&AYA Vol.1」の音楽を作りました。で、このブログを始めてますね、この頃に。そういえば、ギャスパー・ノエの新作「エンター・ザ・ボイド」に衝撃を受けました。


2010年7月
休刊になってしまったカルチャー誌「リバティーンズ」の第3号で、ドイツの電子音楽ユニット”クラスター”のインタビューと原稿を書きました。3日にUNITで行われたライブに行き、4日にインタビューという日程でした。76歳の電子音楽界の巨人はなかなかユーモアのある人でした。23、24日はダンサー児玉北斗君主宰のコンテンポラリー・ダンス公演「Project Point Blank」が新百合ケ丘の川崎アートセンターにて行われ、僕は児玉君の音楽を担当、ライブで演奏もしました。


2010年8月
レーベルの立ち上げと、最初のリリース作品をどうするか動き始めた時期です。リリースは「TOKYO nude」をはじめから考えていたのですが、2月に上演した作品だけではなんか物足りないなとこの頃感じ始めていて、それならいっそのこと新作も作って併せてリリースはどうかと考えていました。で、作曲を開始したのがこの時期です。この時点での完成目標は11月頭でしたが、結局はそんな時期には終わりませんでした(笑)


2010年9月
8月中に3曲程作ったのですが、何かがしっくり来なく、結局3曲破棄して新しく曲に取りかかった時期です。その他、digi+KISHINの新作「桜井まり&AYA Vol.2」の音楽を担当しました。一ヶ月ほとんど休みなく作曲してました。


2010年10月
作曲ばかりの一ヶ月です。途中大きなトラブルがあってかなりピンチになったのですが、音楽家渋谷慶一郎さんにアドバイスを頂き、なんとか踏ん張ることができたこともありました。渋谷さんには本当に感謝です。あと、マルセイユ・バレエ団の振付家/ダンサーの遠藤康行さんに声をかけて頂き、2011年3月12、13日のスターダンサーズ・バレエ団の公演で音楽を担当することになったのもこの時期です。バンド形式で何かできないかという提案を頂き、色々考えていた時期です。


2010年11月
11月初め、9月から2ヶ月間で6曲半作っていたのですが、ここに来て何か面白く無くなって、またもや全曲破棄、振り出しに戻った時期です。さすがに10曲程破棄するのには多少のためらいがあったのですが、このとき思いついた作り方で作った曲が10曲のどの曲よりも圧倒的によかったので、破棄しました。ここから1ヶ月は怒濤の作曲期間でした。作って作って作りまくる感じ(笑)その間に、12月からリハーサルが始まるバレエの打ち合わせも。こちらは、10月の構想通りのバンド編成(ボーカル/アコーディオン、エレキ/アコースティック・ギター、チェロ、コンピュータ×2の5人編成)にしました。運良く素晴らしいメンバーを集めることができました。そういえばライブ中止になったりもしましたね、もう忘れましたけど(笑)


2010年12月
来年始動のプロジェクトがバタバタと動き始め急に忙しくなった時期です。15日に青山の月見ル君想フ佐久間正英さんプロデュースのエレクトロニカ・フォークバンドCojokと対バンしたのですが、この時期に曲を間に合わせるべく、前半は必死で作曲。途中スターダンサーズ・バレエ団のリハーサルに参加したり、別の打ち合わせに出たりという感じです。14日に曲(全部で6曲です)が完成し、15日にライブ、17日に友人で音楽家の大和田俊君とミックスのチェックをして、すぐマスタリングの予約というバタバタの日程でした。マスタリングは年明け、サイデラでやってきます。後半はスターダンサーズ・バレエ団の稽古を中心に、別の作曲も同時並行。スタダンの方は、後半にバンドで機材を持ち込み、ダンスのリハーサルに合わせてその場でガンガン曲を作っていきました。結果、今年僕の作品の中で一番(!?)と呼び声の高い曲まで作ることができ(それがピアノ曲というのは自分でもくすぐったい気がしますが)、完成ではありませんが年内にいい形まで持っていくことができました。来年は元旦から作曲します。


と、こんな一年間でした。
また明日発表したりもしますのでチェックしてみてください。

今年もありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。