ジョゼ・サラマーゴ「白い闇」について

6月18日、ポルトガルノーベル文学賞作家、ジョゼ・サラマーゴが亡くなりました。

ジョゼ・サラマーゴ http://en.wikipedia.org/wiki/Jos%C3%A9_Saramago


ジョゼ・サラマーゴ作品に触れたのは映画「ブラインドネス」がきっかけでした。
昨年一月頃、遅ればせながらフェルナンド・メイレレスの監督映画「シティ・オブ・ゴッド」「ナイロビの蜂」を見て心を揺さぶられ、最新作である「ブラインドネス」もすぐに見ました。「ブラインドネス」は、ブラジル、カナダ、日本の合作で、公開時から伊勢谷友介木村佳乃の出演が日本では話題になりました。この「ブラインドネス」の原作が、ジョゼ・サラマーゴの小説「白い闇(ポルトガル語タイトル:Ensaio sobre a Cegueira)」でした。



ジョゼ・サラマーゴ「白い闇」新装版(日本放送出版協会


『ある男が突然失明した。眼の機能は”正常”でありながらも視界はホワイトアウトし、全く見ることができない原因不明の病気だ。その病気は瞬く間に拡大感染し、世界中に広がっていく。病気にかかった人々は収容所に隔離されたが、その中にただ一人、目の見える女性がいた』

もの凄く沢山の情報が詰め込まれた作品だと感じました。そして、作品の中でサラマーゴは、現代社会における幾つもの「見ないふりをされている」「気付かれないでいる」大きな問題を提示しているのではないだろうかと。
正常に機能している”はず”の眼が使用不能になること。視覚が失われることによって簡単に崩壊してしまう日常。不必要な塊に落ち込んでしまうテクノロジーの数々。過敏になる他の感覚野/動物としての本能。見えていることと見えていないことの差。生と死が隣り合わせであるという恐怖。希望を求める動き/行動。
サラマーゴが「白い闇」を通して描き出した世界は、たった一つの出来事によって根底から覆されてしまう脆い現代社会でした。そして、ページ中を字で埋め尽くすサラマーゴの文体が、人々の行動と不安定な心情を鋭く”リアル・タイムに”描写していきます。世界が崩壊していく「音」を聞かされるようなその文には、小説の内容にも沿った”聴覚的な”情報を強く示すものであったと感じています。


昔、ダイアログ・イン・ザ・ダークhttp://www.dialoginthedark.com/)にも参加されている視覚障害者の方達のワークショップに参加させて頂いたことがあります。
はじめは視界のある明るい部屋で30分ほど雑談をし、その後に真っ暗な、光一つ入らない部屋に移動してまた雑談をするというものでした。明るい部屋での会話は拙いものであったのに、真っ暗な視界の無い部屋では雑談が弾んだことを覚えています。もちろん、どの方とも初対面でした。
その真っ暗闇の会話の中でワークショップを主催された方が、話されたことを思い出します。

「視覚を得ることで失っているもの、視覚を失うことで得られるものがある。現に、部屋を真っ暗闇にするだけで、自分たち(視覚障害者)と参加者(視覚がある人)の差はほとんど無くなっている。会話も弾むようになった」


サラマーゴの「白い闇」を読んだ時、このことを強く思い返したことは忘れられません。
目で何を見るのか。
もう一度「白い闇」読んでみようと思います。