(遅ればせながら)ブス会「女の罪」を見て

1日、ペヤングマキ脚本・演出のブス会「女の罪」をリトルモア・地下に見に行ってきました。


ブス会 http://busukai.com/


まず、この面白い名前の「ブス会」とは。(ブス会のウェブサイトからの転載です)
三浦大輔が主宰する劇団「ポツドール」の特別企画“女”シリーズ(06年「女のみち」 07年「女の果て」)の脚本・演出を手掛ける溝口真希子ことペヤングマキが2010年新たに立ち上げた演劇ユニット。女だけで集って愚痴や自慢をぶちまけまくる飲み会を「ブス会」と呼んでいたことに端を発する。ペヤングマキが毎回好きなメンバーを集めて女の実態をじわじわと炙り出すような作品を上演していく予定。』

今回上演された「女の罪」という作品もこのユニットの由来の通り、まさに”ブス会な”展開になっていました。
舞台はある街のカラオケスナック。それほど華やかなところではなく、町工場の社長や仕事帰りのサラリーマンが立ち寄るような雰囲気で、どこの街にも一軒はありそうなお店です。そこになぜかタイミングよく集まった女性5人が、男とのセックスを巡ってブスな会話、ブスなやり取りをしていく。夫とセックスレスの果てに出会い系に手を出した女性、風俗で働いていて過去は見せない女性、妻子持ちの男性と不倫をしているスナックアルバイトの二十歳の女性、夫がスナックのママと浮気していると知り乗り込んできた元スナックアルバイトの女性、そして、スナックのママをしている女性。

「これは本当に演劇なのか?演じているのか?」と思ってしまう程、日常的な、ある種の”素”を感じずにはいられない役者達の演技。そして、その日常的な行動が逆に滑稽さを強調し、シリアスな場面なのに笑わずにはいられない、ということが何度もありました。女性というよりは、もう”女子”と呼びたくなるようなやり取りと、話の流れ。

現実の出来事と一緒で、その滑稽さもシリアスさも男性同士のやりとりの何倍も、迫力があります。そして、何とも言えない楽天さも常に感じます。

一週間前に見た鉄割アルバトロスケットの舞台は完全に男性的、男力を感じるものでしたが、今回のブス会は完全に女性的、女力の舞台でした。続けてみることで、そもそも女性と男性の性の質の違いを感じました。一番強く感じるのは「楽天さ」の違いでしょうか。鉄割の舞台で感じた楽天さは、「’どうにでもなれ’の裏側に’何とかなる’がある」印象を受け、ブス会の舞台で感じたそれは「’何とかなる’の裏側に’どうにでもなれ’がある」印象。当たり前のことではあるかもしれませんが、舞台を見て感じたのは初めてかも知れません。

ブス会の舞台には、日常生活の中で「こういうことあるなあ」と思わされるもの/瞬間が沢山存在していたと思います。それによって、作られたものでないような、役の人が実際に存在してそのものの性が露にされているような錯覚を引き起こしました。終電前の改札で男女のやり取りを目撃したり、居酒屋で女性だけしているかなり重みのある会話を耳にしたりと、”ブス会的な”においのする場面に遭遇することは日常の中で多々あると思います。それらを「日常」という場にはめ込まず、舞台等別のかたちに昇華すると、おかしくてたまらないものになるのかもしれません。日常は舞台より滑稽なり。

そう思って改めて周囲を見回してみると、そこら辺に滑稽がごろごろしている気がします。